AviciiのBroken Arrowsは、かつて多くの大会でメダルを獲得していたが、現在はトレーラーハウスで自堕落な生活を送っている男(走り高跳びの選手)の物語がPVになっています。
不摂生な生活を送るうち、かつての栄光も消えうせ、所属チームからは退団寸前になりますが、彼には、それでも慕ってくれる娘がいます。
あるとき、トレーラーハウスの前で高跳びで遊ぶ娘をみて、彼は、新しい高跳びのフォームを思いつき、それを用いることで、再び返り咲き、ついにはオリンピックの金メダルを獲得するという内容です。
歌詞やPVは再生と復活の物語なのですが、ビデオの最後に「これは、実話に触発されて作成しました」というテロップが流れるのが気になりました。
その実話とは何か?
リサーチした結果、おもしろいことが分かったのでシェアします。
かつてない跳び方を考案した選手
実は、メキシコオリンピックで、一人だけ他の選手と違った跳び方をして、金メダルを取った選手がいます。
彼の名は、「ディック・フォスベリー」。アメリカの走り高跳びの選手でした。
そのころ、陸上の走り高跳びの世界では、ベリーロールという跳び方が主流でした。
ベリーロールは、踏み込んだ足とは逆の足を上げて体を水平にし、バーを下に見ながら回転するようにバーを越えます。
しかし彼は、ひとりだけ「背面跳び」を使ったんです。
腹側をバーに向けるベリーロールとは全く逆で、背中をバーに向けるわけですから、その跳び方がいかに他の選手とは異なっていたか、いかに斬新だったかが想像できますよね。
しかし、背面跳びはこれ以降急速に陸上界に広まり、今では、国際大会などではもっともメジャーな跳び方となりました。
そのため、背面跳びは英語では、「フォスベリー・フロップ(Fosbury Flop)」と呼ばれています。
その画期的な跳び方どのようにして生れたのか?
AviciiのPVでは、自堕落な男が偶然発見した背面跳びですが、実際には、フォスベリーは、長い試行錯誤と練習を経てこの背面跳びを生み出しています。
もともと、高校生から陸上を始めたフォスベリーですが、従来主流であったベリーロールの跳び方が少し複雑であることに気が付いていました。
そこで、すぐに研究を始め、大学に入るころには現在の背面跳びに近いスタイルを確立していました。
ただ、大学では、その方法が少し奇抜に見られたため、コーチたちによって、使用を控えるように言われていたそうです。
その後、従来の跳び方でうまくいかなかったフォスベリーは再度、背面跳びを磨き、1968年の屋内外のNCAA選手権で優勝したため、1969年のメキシコシティー・オリンピックに出場することになったのです。
初日は懐疑的だった他の国のコーチや競技者ですが、聴衆はその斬新な跳び方に熱狂したといいます。
そして、翌日には、当時の世界記録を塗り替え、2.24メートル(7フィート4.25インチ)で金メダルを獲得したのです。
あるジャーナリストは、
「トラックの後ろから落ちた男のように見えた」
“looked like a guy falling off the back of a truck.”
と表現しています。