FIFAワールドカップの日本代表選手につく専属コーチと聞けば、それは当然ベテランのサッカー関係者だと想像しますよね。しかし、岡崎慎司選手の専属コーチは、「走り」が専門の法政大学教授だったのです。

岡崎選手と杉本教授の出会い

先述の岡崎慎司選手(1986年4月16日 – )の専属コーチとは、現在法政大学経済学部経済学科の杉本龍勇(1970年11月25日 – )教授のことです。岡崎選手との出会いについて、杉本教授は法政大学のホームページでこのように紹介しています。

「法政大学に来る前に、Jリーグの清水エスパルスでフィジカルコーチをしていた時期に知り合ったのが縁で、2012年からサッカー日本代表の岡崎慎司選手の専属コーチを務めています。」

杉本教授が目指す体の動き

実は、杉本教授は陸上短距離走者としてオリンピック代表にまでなった陸上選手だったのです。当然専門は、サッカーではなく、「走り」でした。しかし、全てのアスリートには共通のモチベーションが必要だと気付き、「体の動き」を指導の目標に定めたと語っています。

「サッカーの専門技術は分からないので、基礎体力や瞬発力、リズム感などの身体能力を向上させ、自分が思い描いたイメージ通りに体を動かす力を鍛える方法を指導しています。

指導するにあたっては、プロの競技者やトップアスリートの育成に寄与するというより、“昨日よりも今日のほうが、体がよく動く”というワクワク感を体験してもらいたいんです。思い通りに体が動けば、自分の成長を実感して、新しいことにチャレンジしようという意欲をかき立てられますから。」

インターハイからオリンピックまで、新記録樹立

杉本教授は現役時代、陸上競技短距離種目の数々の新記録を樹立しています。身長(182㎝)と体重(80㎏)に恵まれた体型を生かしたスプリンターとして、高校時代から注目されていました。1988年のインターハイ(神戸)で100mを10秒37と200mを21秒06のタイムで走り、それぞれの種目の大会新記録を樹立し、優勝しました。

また、1990年にベルリンに留学中、ドイツ学生選手権の100mおよび200mの両方のスプリントで見事優勝しました。

帰国後はインカレでの優勝を始めとし、数々の短距離競技で活躍を続けました。

1992年のバルセロナオリンピックでは、100mスプリントと4×100mリレーに出場しました。 4×100mリレーではアンカーを務め、戦後初の決勝進出を果たし、見事6位入賞しました。その時のタイム、38秒77は当時のアジア新記録でした。

岡崎選手の「最初の印象は最悪」

杉本教授はランナーとしての現役を退いた後、フィジカルアドバイザーとして活躍をはじめました。

2005年には、先述のJリーグ清水エスパルスのフィジカルコーチに就任することになり、そこで高校を卒業したばかりで入団して来た岡崎慎司に出会います。岡崎は「足が速くなりたいんです」と杉本コーチに指導を仰ぎました。杉本教授は「最初の印象は最悪。そもそも運動センスが無かった。プロで生き残れるか本気で心配した」と最近のインタビューで話しています。

okazaki sugimoto

(岡崎選手と杉本教授、法政大学HPより)

しかし、その後、岡崎選手は本人の熱意と、適格な指導により、今はワールドカップで日本代表のベテランとなり、大活躍しています。また、イギリスのプレミアリーグ・レスター・シティFC所属のフォワードとして世界一流のサッカー選手の地位を獲得しています。

「思い通りに体を動かせるようになること。」この目標に向かうことがトップアスリートになるための条件だと杉本教授はアドバイスしています。

岡崎慎司選手の活躍を見れば、このアドバイスの成果が絶大だということが良く分かります。

 

 

 

こんな記事もどうぞ