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世界一速い人間は誰だ?陸上競技でこの問いは最も興味深いものですね。舞台が五輪の100mの決勝となれば、文字通り、世界中の目がその競技に向けられます。1964年、東京オリンピック競技場第1レーンを弾丸のように飛び、ブレット・ボブ(Bullet Bob)こと、ボブ・ヘイズが世界の皆の期待に答えたのでした。

借り物のスパイク履いて世界タイ記録

ボブ・ヘイズ(Robert Lee “Bullet Bob” Hayes, 1942年12月20日 – 2002年9月18日)はアメリカを代表する短距離走者として、1964年東京オリンピックの100mと4×100mリレーに参加しました。昭和39年10月、その東京オリンピックの舞台でヘイズは2位に2mの差を付け、見事100m競技の金メダリストになりました。また、そのタイムは10秒06で、当時の世界記録とタイでした。

https://www.youtube.com/watch?v=ztRL-QMI1NY

見事な記録でしたが、実は2つ大きな不安を抱えてのランだったのです。先ず、ヘイズは第1レーンを走ることとなっていましたが、その前日、20km競歩競技にこのトラックが使われていて、特に第1レーンがひどく荒れていたそうです。第2の不安は、競技場に付いてから、自分のスパイクが無いことに気が付き、急きょチームメートのものを借りてレースに及んだことでした。なんと試合に出発する前、部屋で友人とふざけているうち、スパイクを蹴ったため、ベッドの下に隠れてしまったというのです。しかし、借りてきた他人のスパイクにも関わらず、彼は立派に優勝を果たしました。

リレーアンカーのごぼう抜き

4×100mリレー決勝では、ヘイズがアンカーとしてバトンを受け取った時、アメリカンチームの順位は5位でした。しかし、100mを8.5~8.9秒の速さで、他のチームのアンカー達をごぼう抜きした結果、彼は2位を3m離してゴールし、2個目の金メダルを獲得しました。しかも、ボブ・ヘイズの最後の史跡的な100mダッシュのおかげで、当時の4×100mリレーの世界新記録、39.06秒をも樹立しました。

オリンピック金メダルとスーパーボウル・リングを両方持つ男

ヘイズは1964年の東京オリンピックの4×100mリレーで世界記録を出し、金メダルを2個獲得した後、直ぐ陸上生活を引退し、プロ・アメリカン・フットボール選手に転向しました。

ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)のダラス・カウボーイズに入団し、名ワイド・レシーバーとして、10年近く輝かしい活躍を続けました。また、プロ・アメリカン・フットボールの最高峰のスーパーボウルに2回も出場し、1971年のダラス・カウボーイズの優勝チームのメンバーとして、栄光の指輪、スーパーボウル・リングを獲得したのです。

元オリンピック選手がNFLのチームに入団することは珍しくありませんが、五輪の金メダルとSuper Bowl Ringの両方を手中に入れたのは当時、唯一ボッブ・ヘイズのみでした。

ゾーン・ディフェンスが確立

ヘイズがアメフトにデビューしますと、敵チームの守備陣は、マンツーマンでは彼の俊足について行けず、ゾーンを決めて対応することを工夫しました。このように、ヘイズの出現によって、アメリカン・フットボールのディフェンス・フォーメーションの常識に大きな変化をもたらしました。

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ヘイズは2002年に腎不全で亡くなりましたが、2009年に、プロフットボール殿堂入りを果し、輝かしいスポーツマンとしての栄光が称えられました。

東京五輪の「黒い弾丸」

日本では、‘64年の東京オリンピックを知っている人達にとっては、彼は「世界最速男」とし、未だに多くの陸上ファンの記憶に残っていることでしょう。

当時の記録によりますと、彼が猛スピードで4×100mリレーのアンカーとしてフィニッシュしたとき、朝日放送の植草貞夫アナウンサーが実況放送で、「黒い弾丸!ボブ・ヘイズ!!!」と思わず叫んだという逸話が残っています。

 

 

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