ある宅急便のトレードマークにもなっている飛脚。
江戸時代に手紙や荷物を運んだ人たちのことですが、実際にはどれくらい早く走ったのでしょうか?
飛脚たちが現代にタイムスリップして、箱根駅伝やマラソンを走ったら、もしかしたら、ものすごく速いのではないか?
そんな疑問について想像を膨らませてみましょう。
(客観的な事実から判断しようと努めてはいますが、専門家ではないので、全くの個人的な想像です。悪しからず。)
飛脚はどれくらい早かったのか
飛脚の走る速さがどれほどのものだったかが分かる文献として、シュリーマン旅行記 清国・日本」があります。
トロイの遺跡の発掘で有名なハインリッヒ・シュリーマンが、1865年、幕末期の日本を訪れた際の見聞記で、一旅行者として、激動の時代の市井の様子を活き活きと書いた本です。
この本によると、馬とその世話をする馬丁を雇って出発した際、「馬丁が、フンドシだけのほぼ素っ裸で、馬と同じくらいのスピードで駆けてきた」という記載があったり、別な日に馬で急ぎの用事で移動した際は、「全身に刺青した馬丁が馬と競うように我々の後を駆けてきた」という記述があるようです。
馬は、長距離が得意な動物ではないので、それほど長い間、全速力で駆けたわけではないと思いますが、それでも、馬丁という、走りが専門でない職業の人でもそれほどの早さで描写されているわけですから、飛脚の早さは推して知るべしといったところでしょう。
飛脚の時速はどれくらい?
次に、飛脚たちが、走った距離とかかった日数から、その速さを考えてみたいと思います。
江戸時代の文献に残っているのは、東海道を使って、江戸→京都間で手紙や物を届けた飛脚たちの記録。
それによると、江戸、京都間を最速で60時間程度、約2.5日で届けたそうです。
当時の運び方は、東海道の53の宿場町に飛脚が待機しており、宿場町に到着したら荷物を受け渡して、次の飛脚が走り出します。
最速の場合、「無刻」と呼ばれ、昼夜を問わず次々に交代しながら飛脚が走り続けました。
江戸→京都間の距離は約493kmといわれていますから、時速になおすと9km/h弱といったところでしょうか。
現在より道も整備されておらず、山道なども多かったでしょうから、整備された道であれば、もっと早く走れたことも想像できます。
映画「超高速!参勤交代」でも足の速いサムライたちが出てきていましたね。
飛脚の走り方は特殊な走法?
現在、世界のスポーツ関係者や競技者から注目されている「ナンバ走り」は、江戸時代の飛脚の走り方に由来するとも言われています。
一般的には、「ナンバ走り」とは、「右手と右脚、左手と左脚を同時に出す」と言われており、右手と右足を同時に前に出した飛脚の写真も広く流通していることから信じている人も多いです。
しかし、実際には、必ずしも同じ側の手足を同時に前に出す走り方ではないというのが、最近の通説のようです。
「ナンバ走り」の実際の走法については別な記事に譲りますが、体のひねりを最小限に抑える走り方のため、長時間歩いても疲れず、長距離に向く走り方だったようです。
飛脚や馬丁など、長時間走る職業の人たちが身に着けていた走り方だったというのは合点がいきますね。