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NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」の第ニ部では、既に1928年のアムステルダム五輪大会が終わり、次回の1932年ロサンゼルスオリンピックに向けて動き出しました。

特に日本の水泳界を引っ張って行く新聞記者の田畑政治(阿部サダヲ)が益々張り切って活動を開始し始めました。

では、そのロサンゼルス大会の日本選手団の成果はいかがだったのでしょうか。

https://twitter.com/nhk_td_idaten/status/1158648946245419009

1932年ロサンゼルスオリンピック開催の特殊性

ロサンゼルス五輪大会は1932年7月30日から8月14日まで、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスで行われました。

  • 実施競技種目数/16競技128種目
  • 参加国・選手数/37ヶ国1,328人

今では想像しにくいことに、開催招致に際し、ロサンゼルス以外に立候補した都市がなかったので無投票で開催地が決まりました。

この異常な背景には1929年10月の世界恐慌がありました。

この影響とヨーロッパから遠隔地だったため、選手及び役員の派遣を見送った国が続出して前回大会のアムステルダムの約半分にまで減ってしまったのです。

さらに、開催地のロサンゼルスでも失業者達がスタジアムに向けてデモを行った事もありました。

https://twitter.com/nhk_td_idaten/status/1159298228522758144

日本選手団のメダルラッシュ

1932年ロサンゼルスオリンピックには、満州事変の勃発などで国際世論の風当たりが強い中、日本は192人の大選手団を派遣。、

日本チームは、特に水泳競技で飛躍的に成果をあげました。

競泳・男子6種目中、5種目で日本選手が金メダルを獲得。

陸上競技・男子100メートルで吉岡隆徳が決勝に進出。6位入賞。

陸上競技・三段跳びで南部忠平が優勝。日本選手が2連覇を果たします。

馬術・大賞典障害飛越個人で西竹一が優勝。

その結果、金メダルの数では7個を獲得して順位は5でした。

アメリカは金メダルが41個(メダル合計103個)、イタリアは金が12(合計36)、フランスは金10(合計19)、スウェーデンは金9(合計23)で日本は金メダルが7個、銀7個と銅4個で合計18個のメダルを獲得したのです。

https://twitter.com/nhk_td_idaten/status/1158935829940776960

日本人メダリスト達

水泳競技のメダリストの中には大河ドラマのいだてんで注目される選手がいます。

紅一点、女子200m平泳ぎの前畑秀子(上白石萌歌)を始めとして、男子100m自由形の宮崎康二(ドラマでは西山潤が演じる)、男子200m平泳ぎの鶴田義行(大東健介)と小池禮三(前田旺志郎)、や男子400m自由形の大横田勉(林遺都)が含まれています。

日本人メダル獲得者リストと記録

金メダリストと記録

南部忠平(陸上競技三段跳、会社員)男子三段跳び:金メダル(15m72cm)
宮崎康二(競泳男子100m自由形、浜松一中) 男子100m自由形:金メダル(58秒2)
北村久寿雄(競泳男子1500m自由形、高知商) 男子1500m自由形:金メダル(19分12秒4)
清川正二(競泳男子100m背泳ぎ、名古屋高商) 男子100m背泳ぎ:金メダル(1分08秒6)
鶴田義行(競泳男子200m平泳ぎ、会社員) 男子200m平泳ぎ:金メダル(2分45秒4)
競泳800mリレーチーム:豊田久吉(日大)・宮崎康二・遊佐正憲(日大)・横山隆志  男子4×200m自由形リレー:金メダル(8分58秒4)
西竹一(馬術大障害、騎兵中尉、馬名:ウラヌス) 障害飛越個人:金メダル

銀メダリストと記録

西田修平(陸上競技棒高跳、早大) 男子棒高跳び:銀メダル(4m30cm)
河石達吾(競泳男子100m自由形、慶大) 男子100m自由形:銀メダル(58秒6)
牧野正蔵(競泳男子1500m自由形、見付中) 男子1500m自由形:銀メダル(19分14秒1)
小池禮三(競泳男子200m平泳ぎ、沼津商) 男子200m平泳ぎ:銀メダル(2分46秒6)
入江稔夫(競泳男子100m背泳ぎ、早大) 男子100m背泳ぎ:銀メダル(1分09秒8)
前畑秀子(競泳女子200m平泳ぎ、椙山高女専) 女子200m平泳ぎ:銀メダル(3分06秒4)
男子ホッケーチーム:浅川増幸(会社員)・猪原淳三(早大出)・宇佐美敏夫(会社員)・小西健一(早大)・小林定義(官吏)・今治彦(早大)・酒井義雄(明大)・柴田勝巳(会社員)・左右田秋雄(早大)・永田寛(明大)・中村英一(慶大)・浜田駿吉(慶大)・三浦四郎(明大) 男子:銀メダル
(ホッケー競技に参加した国は、開催国のアメリカ合衆国およびインド、日本の3ヶ国にとどまったため、3ヶ国でリーグ戦を行いインド、日本、アメリカの順でメダルが決定した)

https://twitter.com/nhk_td_idaten/status/1150298908289097729

銅メダリストと記録

南部忠平(陸上競技走幅跳、会社員)男子走り幅跳び:銅メダル(7m45cm)
大島鎌吉(陸上競技・三段跳、関大) 男子三段跳び:銅メダル(15m12cm)
大横田勉(競泳男子400m自由形、明大) 男子400m自由形:銅メダル(4分52秒3)
河津憲太郎(競泳男子100m背泳ぎ、明大) 男子100m背泳ぎ:銅メダル(1分10秒0)

『バロン・ニシとウラヌス』の偉業

日本人メダリストの中に水泳競技者が目立ちますが、水泳でも陸上競技以外で金メダルに輝いたのは『バロン・ニシ』こと西 竹一(にし たけいち、1902年7月12日 – 1945年3月22日、男爵=Baron)でした。

1932年ロサンゼルスオリンピック馬術のグランプリ障害飛越競技では、日本の西竹一陸軍騎兵中尉が愛馬のウラヌス号を駆って金メダルを獲得しました。

当時の馬術競技は大会最終日にメイン・スタジアムで行われる花形競技であり、『バロン・ニシ』の名前は一躍有名となりました。

このとき西中尉が獲得した金メダルは、現在においても、夏季オリンピックの馬術競技で日本が獲得した唯一のメダルなのです。

硫黄島で散ったバロン西

ロサンゼルス大会の馬術で優勝、語学も堪能だった西は現地でバロン西と呼ばれて各方面の人々と親交を深め、優勝を祝福されました。

それから約13年後の1945年。

バロン西が戦車第26連隊長として着任していた硫黄島にアメリカ軍が上陸。

敗色濃厚な日本軍の中にバロン西がいることを知ったアメリカ軍は「バロン西、貴下はロサンゼルスで限りなき名誉を受けた。降伏は恥辱ではない。

われわれは勇戦した貴下を尊敬をもって迎えるだろう」と呼びかけました。

ロサンゼルスで優勝したときの愛馬ウラヌス号のたてがみを身につけて戦っていた西に、この呼びかけが届いたかどうか定かではありません。

残念ながら西竹一は3月21日、42歳で散華しました。

 

2028年ロサンゼルスオリンピック

ご存じのとおり、2028年開催予定の第34回の五輪大会もまたここアメリカ合衆国カリフォルニア州のロサンゼルスで行われる予定です。

計画では2028年7月21日から8月6日までの17日間開催のオリンピック競技大会となっています。

2017年9月13日にペルーのリマで開かれた第131国際オリンピック委員会総会で開催地が決まりました。

ロサンゼルスでの開催は1932年に続いての1984年大会以来、44年ぶり3度目となります。

また、アメリカ国内での開催は夏季大会としては1996年アトランタオリンピック以来32年ぶり5度目で、冬季大会を含めば2002年ソルトレークシティオリンピック以来26年ぶり9度目となります。

我々はまだ2020年の東京オリンピックの全貌が分からない状況なのに、2028年ロサンゼルスオリンピックのことを想像するのには無理があります。

しかし、1932年のときのロスと同様に、我々はどのオリンピックでも「がんばれニッポン」と声援を送りましょう。

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