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三島弥彦(生田斗真)はNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」で、何回も「短距離走は日本人には無理、100年かかっても無理」というセリフを繰り返します。

また、日本が初めて参加したオリンピックで、折角400m 準決勝まで進んだのに、このセルフを繰り返して棄権してしまいます。

その時の「世界」の記録はどのくらい優れていたのでしょうか。

第5回オリンピック日本選手団の記録

1912年5月5日 から7月27日 まで、スウェーデン・ストックホルムで開催された第5回オリンピック競技大会に初めて参加するアジア国として、日本選手団の構成は、参加選手2人の三島弥彦と金栗四三(中村勘九郎)、選手団団長の嘉納治五郎(役所公司)と監督の大森兵蔵(竹野内豊)の合計4名でした。

ベルリン留学中の田島錦治が役員として入場式に参加していますが、正式な選手団のメンバーではありませんでした。

これは未だに、日本としては最小の人数のオリンピック選手団です。

長距離走担当の金栗四三はマラソンと10,000mに登録され、短距離走専門の三島弥彦は100m、200mと400mにエントリーされていました。

金栗四三はマラソンに集中するため、10,000mを棄権します。

しかし、マラソン開催日は最高40度を記録するような猛暑だったため、参加者68名中、金栗四三を含む半数の選手は途中棄権してしまいます。

短距離走では三島弥彦が奮起して、自己ベストを記録するものの、どれも順位がつくような成績を残すことはできませんでした。

  • 100m 1次予選敗退(16組5着、11秒8、自己新
  • 200m 1次予選敗退(13組4着、24秒台)
  • 400m 準決勝棄権(予選は4組2着)

三島弥彦は100m12秒の壁を破り「12秒男」の汚名を返上しましたが、「日本では負けたことが無いのに」と外国人選手の能力を見せつけられて悔しがるシーンが印象的でした。

メダリスト達の記録

1912年ストックホルムオリンピックには28の国や地域から2,437人の選手が参加しました。

行われた競技は今よりはるかに少ないのですが、現在は含まれていない「綱引」や「芸術」もありまいた。

第5回オリンピックには15競技で102の種目がありました。

主なものは、陸上競技、競泳、飛込、水球、サッカー、テニス、ボート、レスリング、セーリング、自転車、馬術、フェンシング、射撃、近代五種競技、綱引、野球および芸術の様々な競技でした。

マラソン・メダリスト

オリンピックの花型競技のマラソンの金メダリストは、南アフリカのケネディ・”ケネス”・ケイン・マッカーサー(Kennedy (“Kenneth”) Kane McArthur, 1881年2月10日 – 1960年7月13日)でした。

マッカーサー選手のタイムは2:36:54と記録されています。

銀メダルも南アフリカの選手のクリスチャン・ギッシャムで、記録は2:37:52でした。

銅メダルは、アメリカのガストン・ストロビーノで、タイムは2:38:42と記録されています。

短距離走メダリスト

100m競技ではアメリカがメダルを独占しました。

金メダルは、ラルフ・クレイグ (Ralph Cook Craig、1889年6月21日 – 1972年7月21日)で記録は10秒8でした。

銀メダルはアルヴァ・メイヤーで10秒9の記録を残しました。

また、銅メダルのドナルド・リッピンコットも記録上ではメイヤーと同じ10秒9となっています。

200mでもアメリカ勢が強く、金と銀を獲得しています。

金メダルは、100mと同じラルフ・クレイグでタイムは、21秒7でした。

銀メダルは、100mの銅メダリストのドナルド・リッピンコットで、記録は21秒8でした。

アメリカ勢の独占を阻止して銅メダルに食い込んだのは、イギリスのウィリアム・アップルガースで、22秒0の記録を残しています。

400mでは、やはりアメリカ勢が強く、金と銅メダルを納めています。

ゴールドメダルは、チャールズ・レイドパスで、優勝タイムは48秒2でした。

シルバーメダルはドイツのハンス・ブラウンで48秒3のタイムでした。

ブロンズメダルは、アメリカのエドワード・リンドバーグで、タイムは48秒4と、各選手は0.1秒の差でゴールインしたことになります。

2020年東京オリンピックに期待

100mの結果を見ますと、三島弥彦がやっとの思いで出した自己ベストの11秒8は優勝したラルフ・クレイグと1秒もの差があります。

日本一の短距離ランナーとして、日本を代表してストックホルムオリンピックに参加した三島弥彦にとっては、目の当たりにした「世界の壁」の大きさにショックを受けたのは想像できます。

「短距離走は日本人には無理、100年かかっても無理」と繰り返したくなる気持ちも分かります。

しかし、近年は日本人選手も国際大会の短距離走競技でメダルに届くようになってきました。

2020年の自国開催の東京オリンピックでは、是非、さらなる飛躍を期待したいところですね。

 

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