2020年東京オリンピックの前年の今年にスタートした、NHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」には主人公の日本人初のオリンピック選手となり、「日本のマラソンの父」と呼ばれる金栗四三(かなくり しそう)を始めとして、日本のスポーツ界に貢献した多くの登場人物が描かれています。

その中に、大森兵蔵(おおもり ひょうぞう)日本初のオリンピックチーム監督がいます。

明治34(1901)年に渡米

後に日本が初めて五輪大会に参加するストックホルムオリンピックの日本選手団の監督となる大森兵蔵(1876年3月14日 – 1913年1月13日)は、資産家の家に生まれ、東京高等商業学校(一橋大学の前身)を卒業後、明治34(1901)年に渡米し、スタンフォード大学経済学部に留学しました。

その後、1905年からはマサチューセッツ州にある国際YMCAトレーニングスクール(現スプリングフィールド大学)で体育等について勉強するようになりました。

日本では「YMCA」と聞くと、歌手の西城秀樹のヒット曲を連想しますが、正称は「キリスト教青年会Young Men’s Christian Association」で、キリスト教の信仰にもとづいて,男子青年の人間教育と社会奉仕を目的とする世界的な団体なのです。

ここでの教育の一環として体育が重要視されました。

また、国際オリンピック委員会の支援を得るため、YMCAはアジア各地のキリスト教系学校やトレーニングスクールでスポーツ指導者を多数育成し、後に大森もその一人になったわけです。

結婚と帰国

大森兵蔵は国際YMCAトレーニングスクール在学中、後の妻となる肖像画家のアニー・バロウズ・シェプリー(Annie Barrows Shepley)のウィンダム郡 (コネチカット州)ウッドストックの自宅のコックとして雇われました。

それが縁で、トレーニングスクール卒業後、1907年10月1日に、30歳の大森と51歳のアニーが結婚することとなりました。

翌年の1908年 に大森兵蔵はアニー(日本に帰化した後大森安仁子と改名)を連れて帰国し、指導者として、東京YMCAでバスケットボール、バレーボールを日本に初めて紹介するなどと活躍を始めました。

その他、大森夫妻は社会福祉施設・有隣園を設立し、恵まれない子供達の教育に尽力しました。

嘉納治五郎との出会い

日本のスポーツの歴史が大きく変わる1911年 に、大森兵蔵は嘉納治五郎とともに大日本体育協会(現日本体育協会)を設立してその理事となります。

これは、大河ドラマ「いだてん」の最重要登場人物の一人でもある、「日本スポーツの父」と呼ばれる嘉納治五郎(かのう じごろう、1860年12月10日(万延元年10月28日) – 1938年(昭和13年)5月4日)とのコラボレーションの大きな始まりを意味しました。

その後、2人が中心的な役割を果たして、日本オリンピック委員会(JOC)を設立して、日本が初参加したスウェーデンの1912年ストックホルムオリンピックに於いて、大森兵蔵は日本選手団の監督としてチームをリードすることとなります。

オリンピック参加直後の急死

1913年に、オリンピック終了後、日本に帰る途中、ニューヨークに住む安仁子の親戚を尋ねた後、帰国に向けて船が出るカリフォルニア州パサデナに着いたが、大森兵蔵は持病の肺結核が悪化し、36歳の若さで亡くなりました。

夫の没後も、大森安仁子は社会福祉施設・有隣園の運営を続ける一方、日本の古典文学の翻訳も手掛けたそうです。

大河ドラマの大森兵蔵と安仁子

ドラマでは大森兵蔵役は竹野内豊(たけのうち ゆたか、1971年1月2日 – )が演じていて、大森安仁子を演じるのは、NHK連続テレビ小説「マッサン」でおなじみのシャーロット・ケイト・フォックス(Charlotte Kate Fox、1985年8月14日 – )です。

史実に忠実であれば、竹野内豊の14歳年下のシャーロット・ケイト・フォックスは兵蔵の20歳年上の妻を演じなくてはなりませんが、実際はそのような「努力」は見受けられませんでした。

2人とも、「自然体」でそれぞれの役を演じていました。

ドラマの最後に大河ドラマでは異例の「このドラマは史実を基にしたフィクションです」という注釈テロップが付けられるようです。

史実の基本は大事ですが、「大河ドラマ」を見る側からすれば、面白く見られるのが何より大事ではないでしょうか。

他にも興味深い人物がいろいろ登場する「いだてん」の今後も楽しみです。

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